本文抜粋:「裏切られた三人の天皇」 鹿島曻 新国民社
岩倉欧米使節団 およそ国家の理念と軌跡は創生のときにほぼ定まる。 長州忍法の伝世の毒薬と孝明天皇を厠で殺した刺殺、そして変身すりかえの術等々を駆使して行なわれた明治の忍法革命はひとまず成功したが、その結果、将軍家茂と孝明天皇を暗殺し、さらにひそかに睦仁の明治天皇をも暗殺して長州の大室寅之祐とすりかえ、北朝第七王朝を滅亡させたうえに、その犯人たちが「天皇神聖、万世一系」と強弁して革命に関するすべての情報を独占管理し、誇るべき南朝革命を秘匿した維新政府の実体は、秘匿することによって不法なる暴力による圧政がはじまり、情報を管理するものが無知の国民をさながら犬か豚のごとく酷使するというアンシャン・レジームに回帰してしまった。日本の忍法はもともと破壊はできても、建設は得意ではなかった。 これが洋式銃機の性能によってしばしの間は成功していたからよしとしても、このような悪の国家は百年ともちはしない。失敗に終ればオウムの麻原と同じではないか。そういえば、維新のはじめの東北征伐がまったく罪のない人びとを巻きぞえにして大量虐殺したというところは、オウムのサリン事件とそっくりではないか。しかし、天皇ヒロヒトは敗戦後忍者のごとく変身して、口に平和を唱え、死後大葬によって葬られた。 しかも南朝革命は先進諸国の帝国主義、その象徴である黒船の脅威に対する緊急避難であった。
第五章 岩倉欧米使節団の帝国主義参入 流血の後に幕を開けることができた革命の実態は西郷らが予想したものではなかった。多くの高官が栄華を極めて浮かれている時、西郷は「戊辰の義戦」という討幕戦争が不法な流血であり、なすべき戦いではなかったと反省した。 だが、このように反省する者は反省なき者によって排除されるであろう。反省が正論であるだけに、反省なき者は反省する者を嫌った。反省なき岩倉や大久保にしてみれば、「戊辰の義戦を否定するなんて許せない」「西郷はわれわれを裏切ったのだ」というわけである。反省なき人々によって西郷が殺されるべき運命はここに決まったといえよう。 吉田松陰の革命テーゼが、南朝の大室寅之祐を天皇にする、朝鮮と台湾を植民地にし最後に はアメリカと決戦する、そして差別者を解放する、の三つであったことはすでに論じた。しかし、実は口とは必ずしも両立しないのである。それはフランス革命の自由、平等、博愛という三つのスローガンのうち、自由と平等が両立しないことに似ている。自由放任すれば不平等になるのである。南朝革命に成功した場合、と目といずれに力点をおくかで国家の運命は定まるであろうが、欧米使節団はに必要であった天皇殺しを免責するために口を重視し、西郷たちは目を重視したものであった。 欧米使節団の木戸や伊藤は、松陰の門下生だからというよりも、自分たちが犯人であった天皇殺しの免責のために岩倉や大久保をまきこんで、帝国主義参入という不法にして重大なる国策の変更を、一切の情報を独占して国民に知らせず、またすでに忍者的革命を反省した西郷らの反対をおしつぶしてなしとげようとしたのである。それは客観的にもまったく日本の国民もアジア人もバカにしたやり方である。