今日のお題は「細胞の働き」
個々の細胞は全体に奉仕することが仕事。
そして、全体は個々の細胞それぞれを常に制御しながらすべての細胞が
それぞれの特性(持ち味)を活かすことのできるよう働き続けている。
個々の細胞はお互いに助け合いながら、栄養成分をけっして自己占有などせずに常に分かち合いをもって自らの命を全うするそうです。
『全体』を社会もしくは組織、『細胞』を人もしくは貴方や私と言い換えてみると正しい方向が見えてくるような気がします。
ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、「八正道(はっしょうどう)」という言葉には人の進むべき道がはっきりと示されています。
原典はなく、釈迦のことばを弟子たちが伝えたものであるといわれています。
ちなみに釈迦のことばにもっとも近い原典としては法句経や阿含経がありますのでもし機会があれば是非読んでいただきたい書物です。


迷いや不安は「もの」や「人生」にこだわることから始まります。
ものへの執着を所知障と言い、自分への執着を煩悩障と言います。
自分に執着すればするほど周りの人のことはますます目に入らなくなっていくものです。そして、人よりも先に、人よりも高いところに行くことがまるで人生の目的でもあるかのような錯覚に陥ってしまうのです。
そういう積み重ねを経験していくうちに、人は時として『社会はそんなに甘いものではないぞ!理想ばかりを追っかけないで世の中の仕組みに従え』などと子供たちに平気で言えるオトナになっていきます。
そういう状態になると、自分のことはとても手の届かない高い棚の上に乗せておいてから、おもむろに後続の人たちに向かって自分がとてもできないことをまるで当たり前であるかのように強制するものです。しかしそれは本当の大人と言えるのでしょうか。体と年齢など、形而上学的見地から推察すればたしかに大人であると言えないこともありません。しかし、一番肝心なものがいまだに幼児のままであるようです。
それは人の心です。
心というものが自分だけのものであると本気で思っている状態が、まさにその証拠になります。人は自分では平気で人に対して嘘をつけるものですが、人に対しては絶対に嘘をつかないように厳しく戒め、強く求めるものです。これは釈迦の教えにも沿うことですが、ともに活かし活かされる社会のことを共生社会と言います。
しかし、むしろ現在の社会システム(資本主義)はそのことに対しては常に逆行し続けているのが現実です。いまだに拡大成長指標であるGNPやGDPの上昇・下降に固執し、売上げや利益拡大を金科玉条のごとく信じ続けている企業のいかに多いことか。実際のところ、地球資源を利用し経済の成長を促してきた資本主義という社会制度はもはや限界であることがはっきりしてきました。
つまり、成長には限界があると言うことです。でもそれでいいと思います。
成長という量の拡大はもはやあり得ません。ゼロサムゲームではありませんが、今の社会は、ごく一部の所得富裕層が多くを貪り取り、低・無所得層は少ない量を奪い合うという状態にあります。ましてや、このようなかたよった経済・政治システムが持続可能な社会システムをつくることなど絶対にできないでしょう。
経済のプラス成長に執着する限り、地球環境の保全・再生・改善は不可能ということがわかっています。しかし残念なことに、いまだに成長への期待が根強く支持を得ている状態でもあります。
調和と共生、そして循環する社会のためには、まさに個々人による価値意識の大転換が必要になると思います。ともに助け合い、譲り合いながら共生していく社会は、きっと明るい光で包まれていることでしょう。
どんなに小さな力であっても、気が付いた一人一人から始めていけば、やがては堰を切ったようにエネルギーの総和現象が起き、必ずやそれは実現することができるものであると信じています。
すべてに感謝する心を養っていきたい。

ゴータマ・プッタ(俗称:釈迦)の弟子にチューダ・パンタカ(周利槃特)という人がいて、3000人を超える弟子が修行するなかで、いわゆる知的障害であったそうです。
それでも教えを学ぼうと釈迦の話に傾聴する毎日を送るわけですが、なかなかそれを理解することができず、そのわからないと言うことすらも自分の意思で人に伝えることもできない状態であったそうです。
釈迦は既にそのことを知り尽くしており、ある日彼に向かってひとつのことを
教えたそうです。それは広い庭園の掃き掃除です。ここまでくるとお聞きなった方も多いかと思います。そうです、お掃除小僧といわれた方です。
来る日も来る日も掃き掃除を続けます。他の弟子たちが文字や言葉という手段(媒体)をつかって学習する毎日に比較すれば恐ろしく単純な毎日を続けるわけです。ただひたむきに、修行をすれば阿羅漢に達するのですね。
しかし、彼はこんなふうに悟りました。
『掃けば散り、払えばまたも塵積もる。庭の落ち葉も、人の心も』
言葉が達者で頭脳明晰な多くの弟子たちを超えて、高次元の悟り(阿羅漢果)を得ることができたのでしょうか。
この言葉のなかに、般若心経に通じるすべてが集約されているように感じます。
般若心経ですら262文字という短い言葉で、80000にも及ぶ経典のすべてを集約している聞きますので、おそらく彼の悟りは宇宙的レベルのものであるとも言えるのではないでしょうか。
やすらか庵さんのサイトが参考になりますのでURLを貼り付けておきます。とてもよいサイトなので、ぜひ訪問なさってください。やすらか庵さん、勝手に貼り付けてすみません。https://yasurakaan.com/shingonshyu/shyurihandoku/